この街の悲しさが身にしみる前に子猫を抱いて海を渡ろう (富田林薫)
枡野浩一氏のかんたん短歌blogに投稿しておりまするぅ。 海を渡る者。 僕の住む街、オキノバードシティは地上1万メートル級の高層ビルが幾つもひしめくそんな所だ。 高層ビルと高層ビルの間には無数の高速エアカーチューブと高速遊歩道ベルトチューブが張り巡らされ、隙間から空を伺う事も出来ない。 もっとも、高層ビルと高層ビルの間隔はとても狭く、窓も開かないし、外の風景を眺めたいなんて思ってもいないのだが……。 僕は、東三丁目第三十六曙ビル(高さ9250メートル、2250階建て)の1652階の独身者専用アパートメントに住んでいる。 産まれたのも、この東三丁目第三十六曙ビルの1362階にある第三十六曙ビル市民病院である。 それから、ずっと東三丁目第三十六曙ビルの中で暮らしている。 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と、階数は違えどやはりこの東三丁目第三十六曙ビルの中を行ったり着たりの繰り返しであった。 ただ、第三十六曙ビル大学を卒業すると同時に、1325階の実家を離れ1652階の独身者専用アパートメント移り住んだ。 今は、1259階にあるデザイン会社での仕事をしながら、高速エレベーターを乗り継いで1652階と1259階を往復する毎日なのである。 そんなある日の朝の事。 僕は、いつもの様に会社に行くために高速エレベーターを1652階で待っていた。 この時間はいつも混んでいるのだ。 高速エレベーターは次から次へとやってくるのだが、満員で乗れないこともよくあるのだ。 いつも、ギリギリまで寝ている僕にとっては、1本乗り過ごすと即遅刻となるから、大変なのである。 だが、その日の朝の高速エレベーターは違っていた。 ピンポン♪とエレベータが止まりドアが開いたら、誰も乗っていないのだ。 「おや?いったいどうした事でしょう?今日は休日だったかな?」 多少不可思議であったが、何時もの様に遅刻ギリギリ。時間がなかったので、僕はエレベーターに乗り込んだ。 そして、1259階のボタンを押した。 「あれ?ボタンが点灯しない?故障かな?」 そう、ボタンを押しても点灯しないのである。 「あれ、あれ、あれ、何処のボタンも点灯しない」 僕は、いろんな階のボタンを押してみたが、いずれの階のボタンも点灯しないのであった。 そうこうしているうちにエレベーターのドアは閉まり、降下し始めた。 「えっ?あっ?いったい何処に行くのっ??」 行き先ボタンは何処も押されないまま高速エレベーターはどんどんスピードを上げ降下していった。 いったいどれくらい経ったのだろうか? 不意にブレーキが掛かりエレベータの降下感が薄れた。 ピンポン♪エレベータが止まりドアが開いた。 そこは……。 東三丁目第三十六曙ビルの1階であった。 生まれて初めてやってくる1階。 そう、普通の人は1階なんか立ち入る事は無いのである。 と言うか、全てがビルの中で済んでしまう世界であり、他のビルに出かけることも無い。 生まれて死ぬまで一つのビルの中で過ごす人が殆どなのである。 当然1階のフロアは閑散としていて誰もいない。 僕は東三丁目第三十六曙ビルの入り口の扉に近づいていった。 シュっと音がして入り口の自動扉が開く。 外、生まれて初めての外。 超高層のビルの谷間の更に底のような外は太陽の光も当たらない、暗く、よどんだ空気が漂う所だった。 だが、先に進まなければならない、そんな気にさせる何かが何かがあったのだろうか。 僕は少しだけ躊躇しながらも外の世界へと足を踏み出していった。 暗く、狭い、超高層ビルの間を進んでゆくと。 突然、「みゃぁ~」と声がした。 目を凝らしてみると、子猫がいた。 黒猫だった。 こんな誰もいない1階の暗い狭い所に猫が住んでいるのか? そう思わないでもなかったが……。 僕は、何故かその子猫に親しみの感情の様なものを感じずにはいられなかった。 僕が近づいていくと、子猫はさっと起き上がった。 更に、近づくと小走りで少し間を取った。 「みゃぁ~」 と、鳴き声をあげる。 まるで、僕を誘ってるかのようにも思えた。 「おぃ、待って。何処にいくの?」 僕が問いかけても子猫は走ってゆく。 追いかける僕。 時折止まっては、僕がちゃんと付いて来ているか確認をする。 やはり、誘っているのだろうか? そして、細いビルとビルとの間の暗いトンネルのような所を抜けた時だった。 突然目の前が開けた。 海が目の前に広がっていた。 子猫が僕の足元に寄り添ってきた。 抱いてくれと言うかのように「みゃぁ~」と鳴く。 僕は子猫を抱きかかえ更に先に進んだ。 しばらく行くと港があった。 そこには、一隻の白く塗られた中型客船が停泊しており、その船の前には待合所のような建物が建っていた。 僕は子猫を抱えたままその待合所のような建物に近づいてみた。 「おやっ、お客さんかな?20年分リかな?」 とっ、後ろから声をかけられた。 振り向くと、船長の様なカッコをした一人の男が立っていた。 「お客さんかな?」 また、男が聞いた。 「いや、あの、その、僕はっ……」 僕がどう答えていいかわからずに口ごもっていると。 「はははははっ、言わなくてもいいっ、言わなくてもいい、ココに来たのならお客さんである事は間違いない」 「はあっ?どういう事でしょうか?」 「子猫に誘われて着たのだろ」 「ああ、はい、まあ……」 「ならば、島を渡る者に違いない」 「はっ?島を渡る者?」 「そう、じゃ乗った、乗った」 「えっ、この船に僕は乗るですか?」 「そうだよ、その子猫と一緒にね」 「どうしてですか?」 とっ、その時であった。 「みゃぁ~」 僕の疑問を打ち消すかのように、抱いていた子猫が力強い鳴き声をあげた。 すると、突然、「ああ、行くんだ!この船に乗って行くんだ!」 と、言葉が頭の中で何度も何度も木霊し、とても気持ちが高揚していった。 「ほら、わかったろう」 「ああ、その様ですね、僕は行かなきゃいけないんだ」 その僕の答えに賛同するかの様に抱いていた子猫も。 「みゃぁ~」 と鳴き声をあげた。 僕は、決心するかの様に目の前の白い中型客船を見上げた。 その時……。 ふと僕の視界の端の方に何か石碑の様な物が目にとまった。 少し、興味を引いたので、近づいてみる。 良く見ると、何か文字が書いてある。 この石碑は何なのだろう……。 僕は船長に聞いてみた。 「あの、この、この石碑の様な物はいったいなんですか?」 「ああ、それね、それは初めてこの街に人が住む様になった時に立てられた記念碑だと聞いているよ」 「へえ、記念碑ですか……」 「そう」 「ああああっ、あのこの書かれている文字の意味は何ですか?ご存知ですか?」 「ああ、それはこのオキノバードシティの昔の呼び名だよ」 「へえ、そうなんですか」 「さっ、船をだすよ!乗った!乗った!」 「ああ、はい、はい」 僕は、せかされて子猫を抱いて船に飛び乗った。 さて、いったいどんな世界にたどり着くのだろうか? ああ、最後にこれを伝えておかなくてはいけなかった。 このオキノバードシティの昔の呼び名。 それは……沖ノ鳥島って言うんだって。 昔はそんな名前の島だったのかっ……。 いったいどんな島だったのだろう? 注)沖ノ鳥島とは? 日本の一番南に位置する無人島(N:北緯20度25分 E:東経136度05分)。 東京から南南東に約1,700km離れたところにあります。 台湾よりも、ハワイのホノルルよりも南にあたる熱帯ですが、周囲何百キロも島のない絶海の孤島です。 「島」という名前がついていますが、実際は広い環礁の中に高さ1m弱の岩が二つあるだけ。 この岩が風化したり波の下にもぐってしまうと、日本の排他的経済水域40万平方km分を失ってしまうことになるので、今はこの岩を守るためにテトラポットとコンクリートで周りが固められ、チタン製の蓋までされているとのことだそうです。
by katuo0076
| 2005-07-15 15:45
| 富田林薫
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